我のみ知りて
二、
ぶつん、と体の中で音がして、左肩に火に焙られるような熱を感じた。反面氷の冷たさが胸の内を貫く。痛い。左腕が、痛い、痛い――――。
「………」
耳鳴りのように絶え間なく頭の奥で響く音に、意識がゆるゆると覚醒していく。
のっぺりとした灰色が続いていた梅雨空の、久々の晴れ間は長くは持たなかったらしい。締め切ると湿気が籠って不快だからと開け放たれた障子戸がガタガタと揺れる。
兄上水菜は後！その前に洗濯物！
…水菜…。
あーっ、潤は駄目！着物が汚れるから駄目！大体アンタなんでまだここに居るの？交神に行ったんじゃないの？
だって友兄が…。
賑やかなやりとりが、奇妙に反響して届く。
兎に角この辺りの雨戸を閉めなくては。風こそないが勢いが強い。天の底が抜けたような雨だ。
纏わりつく夢のもどかしさを――――今も尚、失った筈の場所がじくじくと痺れる様に痛む――――振り払う様にゆっくりと起き上がる。左肩から先をごっそりと失った僕に皆気を使って何かと身の回りの世話をしようとするから、声をかければそれこそ洗濯物も放り出してここに駆けつけるのだろうけれど――――こんな些細な事で態々誰かを呼び付ける必要は無い。
雨戸にかけた手が――――するりと滑り落ちた。
「―――――え、」
本当に唐突だった。
何かが綻ぶような感覚。それまで確かに僕と繋がっていた何かが呆気なく千切れ、解けていく。がくん、と膝から力が抜けた。このままでは危ない。頭の片隅で警告が鳴り響く。だが体は全く言う事を聞かず、そのまま庭に落下する。ばしゃりと広がる水飛沫。頭を庇う事だけは出来たが、中途半端な受け身であった為か、脳天にまで強く痛みが走った。
ざあざあと惰性の様に降り続ける雨があっという間に僕の体を濡らしていく。
八九寺の家の者に刻まれた短命の呪い。それまで当たり前のように出来ていた動きにすら不自由を感じる程に急激に弱り、確実に死に至る。これはきっと、二年と生きられない定めが牙を向いた、まさにその瞬間なのだ。
そうか―――ここで、お終いなのか。
朱点童子の分身である七つの蛇。その一つを倒し、彼の者が待ち構えるという鍵を一つ、手に入れた事で、八九寺家は悲願達成の為の確かな足掛かりを掴んだ。それは大きな功績だろう。だが、その代償に僕は左腕を失った。そして今度は、命を失おうとしているのだ。
「は―――――はは、は」
目が回る程に振り回されて、擦り切れる程に振り回され続けて。挙句待ち構えていたのがこの中途半端な救いの無さ。所詮役立たずで見捨てられた僕には、そんな終わりがお似合いだったという事なのだろう。そんな納得の中にある奇妙な爽快感に無暗に笑いたくなった。掠れた声を漏らす喉を抑えた手の甲にぽたんと雨粒とは違う雫が落ちる。
「友兄さん！」
「友兄！」
転倒した音を聞きつけたのだろう。着物の裾を捲り上げて、泥水を跳ね上げて此方に駆け寄ってくる真心ちゃんの姿。少し遅れて潤くんの姿。何時もと違う、交神用の正絹。その光沢が涙で滲む目には少しだけ痛かったけれど、きっと二人は気付いていない筈だ。
雨が降っていて良かった、そんな風に思った。
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