降りゆくものは
前編
少し垂れた目尻、子供ながらに長い手足。背がすらりと高いのは、間違いなく彼の家系の特徴だ。そして何より大人しそうな――――全体に漂う、柔らかく、優し気な雰囲気。
――――似ている。とても、似ている。
淡く、脆い秋の日差しの中に所在無さげに佇む子供の姿を見て真っ先に思った事だ。彩はまるで違う。髪の色も、瞳の色も、肌の色も違う。それでも私の子供は、出夢や理澄よりもはっきりと、友兄さんの面影を残していた。
「居るんだよね？」
「？」
部屋に案内もせず、挨拶も前置きも一切なく投げかけた言葉。俯き気味にはにかんでいた顔が少し持ち上がる。ぱちぱちと揺れる碧眼に、自然と息が漏れた。同じだ。似ているではなく、同じ。新緑を写した柔らかな浅葱色。綻ぶ唇をぎゅっと結ぶ。
潤――――。
彼を埋める為に掘り返した土はまだしっとりと濡れ、淀んだ血の臭いは空気に混じり合い、其処彼処に漂っているような気配さえする。あれからまだ二日と過ぎていないのだから当然だろう。イツ花さんには、お子様をお呼びするのはもう少し落ち着いてからの方が宜しいのでは？と、提言された。だけど私は一刻も早く地上に連れてきて欲しいとお願いした。その判断は間違えていなかったのだ。だってこの子には友兄さんの名残があり、潤と同じ色の瞳を持っている。私の大好きな人達が、大切な時間が今も確かに繋がっている、その何よりの証明ではないか。
「友兄さんの所に、潤は、居るんだよね？」
氏名の神――――氏神。
一族の者を出自とし、八九寺家のみが祭る存在。その為八九寺家に係る事柄であれば、神格の上下に囚われず、強い力の行使を許されるという神。
その道へ至る為には、当人の意思こそが何より重要だというけれど、それが絶対ではない筈だ。かつて反魂で寿命を全うする事無く亡くなったお父さ――――破戒神様を氏神に引き上げたのは観音母様だと、私は知っている。だからきっと、既に氏神として天に昇った友兄さんが望めば、潤にも、天界への、氏神への道は開かれる筈なのだ。
ともにいさん…、じゅん…。ともにいさん…。呪文のように名前を繰り返し、きょろきょろと周囲を見回す。不意に何かに思い当たったかのようにぐうっと喉が鳴る。顔からざっと血の気が引くのが分かった。握った拳が小刻みに震えている。
「と、とも…"ともにいさん"というのは、八九寺友…大権現さま…僕の、御父上…で、す、か？」
何故か怯えたような感情を瞳の奥に宿し、うう、と細く漏れた声に続いたのは、ごめんなさい、という謝罪だった。
「そ、その…その、人、の事、よく、知らない…。一緒に、い、居なかった…から、分からない、です。僕、ずっと、お祖母様、の、所に、いました。御父上、は、独りで、居たい、から、」
おどおどと、そしてたどたどしく紡がれる言葉の、固く寂しい響きが青く澄んだ空に広がっていく。
「他、は、もう、いいって―――――」
「…え？」
どくん。心臓が大きな音を立てた。体の熱が一気に下がっていく。その寒さに手足が痺れるように震えるのを感じた。
何時も優しかった。笑顔で応えてくれた。訓練をしてくれた。私が回復術を覚えるまで、ずっと付き合ってくれたのは友兄さんだ。一緒に戦った。前に飛び出す私を守ってくれた。ご飯を食べた。お祭りにも行った。干菓子を三人で分け合った。真心ちゃん。私を呼ぶ声は何時も穏やかで丸く響いていた。
友兄さんは、ずっと私の――――私達の傍を選んでくれていた。それなのに。"他はもういい"なんて。言わない。言う筈がない。貴方は如何してそんな出鱈目を言うの――――。
詰め寄ろうという意思とは裏腹に、開いた口からは嗚咽の声が漏れていた。
僕は、独楽みたいに振り回されるのはもう嫌だよ。あの家で生きている間、ずっと辛かった。苦しかった。
だからこれで、最後にしたいんだ。
友兄さん。何でそんな事を言うの。ねえ、ねえ。何で。嫌だよ。嫌だ。
絶望が内側に溢れ、心細さが大声で泣き喚く恥ずかしさを打ち消していた。
変わらないなんて無理だ。
お前だって本当は分かっているんだろう？
潤、私には分からない。分からないよ。如何して私を置いて行っちゃうの。別々の所に行っちゃうの。皆一緒が良かった。二人に待っていて欲しかった。よろめく足元。周辺の空気が暗く、薄くなっていく。ぐらりと身体が傾げ、くしゃり。体の下で、乾いた音を立てながら枯れ葉が崩れるのを感じた。
おははうえ？！
痛い。自分の泣き声が、針で刺されるように頭に響いて痛い。ご、ごめんなさい。僕、上手く、出来なくて…。ごめんなさい。ごめんなさい。幼い声が耳にズキズキと煩い。
痛い痛い痛い。如何して。痛い。如何して。応えて。痛い痛い。友兄さん。潤。
――――如何して私は、独りになっちゃったの。
意識の最後の一筋を、すうっと冷たい風が撫でていく。
それは今までに覚えのない、冷え冷えとした、暗くて辛くて陰鬱な感情を伴う風だった。
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