思いの露-後編
「…それで」
僕達がやらかした市で賑わう中での砲弾炸裂騒ぎの顛末を俯いたまま。そして一度も口を挟む事無く耳を傾けていた珠子母さんが初めて顔を上げる。
「貴方…蒼炎、と…紫炎には怪我はなかったのですか？」
「はい」
「そうですか。それは良かった」
視線が交わる。一枚布を挟んだような、感情の見出せない瞳に、僕は何時も先に視線を逸らしてしまう。
「…はい」
自分の母親を前にして思う事ではないのだけれど、僕はこの人が苦手だ。会話をするだけで疲労が蓄積するような気がする。
それを鑑みるに、母さんに今回の出来事の報告する役目を僕に押し付けるというのは、出雲さんなりの罰なのだろう。流石に当主である。僕達兄弟の得手不得手を理解しているのだ。
今頃兄さん、出雲さんに蹴られているのだろうか。兄さんは決して頭が悪い訳でもないのだけれど、僕に関しては本当に考えなしだし、誰に対しても臆するって事がないから、絶対当主様を怒らせると思うんだよね。それにあの人、落ち着いて見える癖に手（いや、足か）がすぐ出るからなあ。ちゃんと手加減してくれていると良いのだけれど。
そもそもの事の発端は、勿論僕達が初陣前に巻き込まれたいざこざが根っこにあるのだが、今回に関して言えば、買い物に出ていた僕達が、偶々二手に分かれた時に、剣呑な雰囲気の男達に取り囲まれたのが原因である。もしかしたら一人になるのを待っていたのかもしれないが。
初対面――――ではない。兄さんがミイちゃん像とか呼ばれていた変な建造物を壊した騒ぎの原因の人達だ。
「護守の双子の餓鬼どもの兄貴か何かだろ？」
「………」
口を噤んでしまったのは、その問い掛けの意味が咄嗟に理解出来なかったからだ。
曰く“双子の餓鬼ども”の片方は僕‐護守蒼炎で間違いないのに、当人を目の前に何を仄めかしているのだろう――――と首を傾げて漸く得心する。あれから二ヶ月余り。背丈が伸びた僕を見て、あの時の子供と同一人物だと認識出来ないのだ。護守家の事情は勘違いや誤解を含めて意外に広く都に膾炙しているのだが、彼らはそれを知らないのだろう。態々誤りを正す必要もないので、曖昧に頷くに留める。
「そりゃそうだろうな。その枯れ葉みてえな髪の色と目の色！間違いねえと思ったぜ」
ニヤニヤと広がる笑い。穏やかならない雰囲気からすると、報復か何かだろうか。確かにあの珍妙な像の下敷きにされるという、かなり気の毒なやられ方だったから、怒りたくなるのも分かる――――だけど、正直困る。相手が怖いとか、そういう類の困惑ではない。関わりたくないのは確かだが、そう手強い連中でもないし（何しろ初陣前の僕達が相手取れた程度なのだ）、適当に相手をして、後は逃げればいい。三下を叩きのめして満足するような安っぽい矜持は持ち合わせていないから、それで構わない。彼らが先に喧嘩を吹っかけて来た事は、周囲からも明らかだし。
それが僕一人で収められるのなら――――だ。
一切の予告無しの炸裂音に、鼓膜が揺れる。
巻き上がる埃と悲鳴の中、僕と男達の間の地面に風穴が開けられていた。
「手前等…！」
僕と同じ、でも少し癖のある茜色の髪が逆立っているのは多分気の所為ではないのだろう。怒りの嵐で渦巻いている金色の瞳。
兄さん、もう来ちゃったんだ。正反対の店に足を運んでいた筈なのに。本当、凄いと思うよ、僕に対する嗅覚（とは違うかもしれなけれど）。こんな事ならいっそ、二手に分かれて買い物しなければよかったのかなあ。同時に因縁を付けられていたら、兄さんの怒りはこれの半分以下だった筈なのに。
「蒼ちゃんを怖がらせるなんて人間の風上にも置けねえ連中だ。むしろ鬼以下だ。油虫より害悪だ。生きている価値がねえ」
え、脅した位で其処まで言う？
そんな冷静な指摘は何処からも、誰からも上がらない。兄さんの迫力に完全に気圧されている。
「よし、とりあえず一人最低十回は殴らねえとな」
「だ、駄目だよ。僕は平気だし、怖がってもいないし。だからそんなに何回も殴っちゃ駄目だよ」
幾ら徒手空拳でも、手加減なしでそれだけ相手を攻撃したら、ミイちゃん像に下敷き事件の時より酷い怪我を負ってしまう事は必至だ。
「じゃあ十回蹴れば良いか？」
「殴るも蹴るも変わらないから！」
僕の言葉にふむ、と考え込む。一見真面目に理知的に見えるが、実はこういう時の兄さんが一番危ないのだ。その証拠の様に、唇の端がにやりと歪む。
「――――よし、これだ」
そういって前に突き出すのは、愛用の大筒・岡鯨だ。
こんな所で発砲する気かよ？！という困惑と恐怖の叫びを兄さんは容赦なく叩き落とす。
「何言ってんだ手前等に砲弾何か使うか勿体ねえ。そのまま一発打ん殴んだよ」
何処が良い？頭か？それとも心臓辺りか？そんな事を嘯きながら、片手で岡鯨を振り回す。重量のある音と風に、前髪がふわりと揺れた。
確かに攻撃の回数は減っているけれど、素手で殴る蹴るより更に性質が悪くなっているよ、兄さん！
「駄目！絶対駄目！そんな事したらこの人達大怪我でも済まなくなるから！」
「別に良いだろ、こんな連中。死のうが生きようが」
「そういう訳にもいかないでしょう？」
「蒼ちゃん、こんな奴等も気遣うなんて…」
優しいなあ！
「…う、うん」
僕としては別に彼等を慮った訳ではない。兄さんに昼日中から殺人を犯させる訳にもいかない――――という方がずっと大事だったのだが。まあ、矛を収めてくれるのなら勘違いでも何でもいいのだ。
真っ直ぐで元気でやっぱり優しい。僕はそんな兄さんが好きだし。兄さんも僕が好きだ。それだけ分かっていれば、良いかな、と思う。
――――公衆の面前での力一杯の感動の抱擁は一寸痛いし結構恥ずかしいのだけれど。
「思いの露-後編」了
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