声待つほどは
初陣の学を連れての討伐に、然程の心配はしていなかった。こいつは表情に乏しいが覇気がない訳でもなく、少し厳しいだろうかと思うような指導にだって喰らいついて来ていたし、復習しろと言えば延々と剣を振り続けていられるような奴だった。短期間でも驚く程に努力して、そうやって習得した剣技があれば、その辺の鬼に遅れを取るとは思えなかったからだ。
それなのに、夢残ヶ原を幾らも行かない内に、学は背の高い夏草の中に蹲る様に、立ち止まってしまった。
「学？おい、如何した…？どこか怪我でも」
「いや…そうでは、ない…。そうではない――――のだが」
学が俺を――――父親である俺を、見上げている。
初めての討伐で鬼を斬った時、俺もこんな顔を――――悪い事をした子供が、大人に叱られるような、頼りない顔を――――しただろうか。覚えていない。或いはこの場所が、空気が悪いのかもしれない。白骨城。大江山に挑み、志半ばで果てた者が集う迷宮。此処の鬼を相手取る際の、黄川人の言葉を借りれば"骨"を断ち切るような――――乾いて、一瞬で砕けて、それでいて何時までも手に纏わりつくような――――この薄気味悪い感覚は、他の迷宮の鬼にはないものだ。俺でさえそうなのだから、実戦が初めての学であれば尚更、戸惑いも、動揺も大きくて当然だろう。
「ぼくは…こうやって、これから。鬼を――――その魂を、殺すのだな」
そうつぶやいた学は、怒ったような、怯えたような…泣き出しそうな。何かを必死で弁解するような、そんな表情を浮かべていた。水を思わせる淡い青色の髪が―――俺と色合いがそっくりなのだそうだ――――、湿気と淀みを含んだ風に揺れている。
何か、言ってやらなくては――――と、咄嗟に思い、その感情に戸惑ってしまう。第一此処には今日子さんも厄介もいない。俺しかいないのだ。俺の、言葉しか――――ないのだ。
「お前は俺よりずっと強くなれる――――。何時か、俺や厄介や今日子さんを守れるようになるんだ。だが、これは、この戦いは。まだその第一歩に過ぎない。苦しくて当然だ」
「そう…なのか？」
「そうなんだよ」
堂々と頷きながら、何故か全力疾走した時のように心臓が早鐘を打っていた。手にはじっとりと冷や汗をかいている。一寸待て俺は一体、何を口走っているんだ？
「厄介の子供達もいるだろう？踊と満…あの二人はお前より弱い。女の子だし――――だからこそ。途中で投げ出してはいけないんだ。最後まで――――戦って、戦い抜いて。あの子達を、守り続けなければならないんだよ」
「…踊くんや満くんを…ぼくが…」
そうつぶやいた学は、表情から力を抜き、視線を落とす。失敗したのか。それはそうだろう。単なる勢いによる言葉の羅列なのだ。すまない、今のは忘れてくれ、と口を開きかけた瞬間――――、学は顔をがばりと上げて、そうか！と力強く声を張り上げた。
「そうだったのか！この力は踊くんや満くんを…父上達を守る為にあるのか！だからこそ戦うのか！」
凄い…凄いな！ぼくがここにある意味は！剣を握る理由は！こんなに素晴らしいものだったとは！
ははははは！と何故か高笑いする学から少し離れ（こいつ、こんなに笑う奴だったのか？流石に怖いんだが）、いや、これはその場しのぎに適当な言葉を繋げただけ――――とは、言えなかった。
守る為に――――。
自分の言葉が正しいのか、今一つ自信がない。そもそも俺は、何時だって誰も守れていないのに。一体どの口が言っているんだろう。詰まる所、俺が無くしてしまったものを、学には持っていて欲しいと――――押し付けただけじゃないかと思う。何より、この時俺が、こんな事を伝えたばっかりに、何時かとんでもない結果を――――こいつを徹底的に損なうような結果を招いてしまうのかもしれないと、不安になる。
「父上は流石だ！ぼくの道をすっかり開いてしまった！」
それでも学は嬉しそうだった。これまで、表情どころか顔色だってほとんど変えない奴だったのに。先に進もうではないか！と、俺を促す目も顔の表情もきらきらと輝いていて――――こんなこいつの姿を見るのは、初めてだった。
今はそれを正しさの根拠とするしかない。こいつがこうやって、何時までも、背筋を伸ばして、前を向いて、真っ直ぐに立っていられる事を、祈るしかないのだろう。
「声待つほどは」了