雷鳴と稲妻
一体何度目になるのか、数えるのも面倒な秋家との闘い。異形の一族の少女が豪快に振り下ろされた大槌が空を切り、赤年の間を揺らす。掠りもしない攻撃に、赤猫お夏はけらけらと笑うと、
「間抜けだねぇ、何処を――――」
狙っているんだい、と最後まで嘲る事が出来なかった。再度の衝撃。腹に響く地鳴りと同時に足場が崩れる。真下に口を開くのは、この紅蓮の祠の中核を成す――――並の生物であれば魂すらも瞬時に焼き尽くす―――地獄の炎だ。勿論天界の序列でいえば高位に当たる、しかも火の女神であるお夏の再生能力を持ってすればこの程度で存在が消し飛ぶことはない。だが、痛みや熱を感じない訳ではないのだ。むしろ高温に耐えきれず肉体が蒸発する端から再生し、其処が炎に炙られ治癒し――――と繰り返す所為で苦痛が絶え間なく続くのだ。これでは戦闘行為ではなく拷問である。
熱っ！熱いってば！！
声にならない絶叫。それに呼応するかのようにどどっと流れる場違いな水。炎とせめぎ合い、ぶわりと広がった蒸気に押され体が地の上に戻る。しゅうしゅうと立ち上る血と水の煙の先、黒い影のような印象の弓使いの男が呆れた様子でぱしゃり、と水の術の余韻を振り払う。如何やらこの男―――背は高いが少年の面影が残る―――が真名姫を使用。炎と水の反発が起き、（それが結果として）お夏を救ってくれたようだ。或いはそれを目的とした行動だったのかもしれないが、勿論礼など言わない。というより喉が焼け爛れてしまい声が出ない。四肢もぼろぼろで、回復には少しかかりそうだ。
「…行き成り何やらかしてんの雷鳴君」
「だって猫さんだし、女の人だもの、直接叩いたら凄く痛いでしょ？」
彼女―――雷鳴が"女性に対して優しく"という父の言いつけを自分なりに忠実に守っているという事情などこの場にいる誰も知る由もなく。例え知っていたとしても、赤年の間の床をぶち壊して真下に落とす行為は痛い痛くない以前の暴挙だ。そもそも真っ当に戦うよりも酷い状況になっている。
そう思ったのは例の弓使い（如何やら彼がこの討伐隊を取り仕切っているらしい）も同様だったようだ。ふうっと息を吐き出すと、整った面立ちに僅かに疲労の色を浮かべ、
「直接攻撃した方が、まだしも被害が少なかったと思うけれどね、彼女」
「下があんなに燃え盛っているなんて考えていなかった！吃驚だよね！」
「いや炎の迷宮の最深部なんだから、其処は想定しておきなよ」
「確かに夏夜兄の言う通りかも。ごめんね女の猫さん！」
素直な謝罪が心底嬉しくない。声が出せれば罵詈雑言を浴びせる所だ。大体あたしに対して"猫さん"って失礼にも程がある！
「…お夏様」
女神の苛立ちを知ってか知らずか、夏夜、と呼ばれた男が声を掛ける。まるで闇から響くような静かな声に、思わず耳をそばだててしまう。
「貴方、曲がりなりにもこの紅蓮の祠の主ですから、彼女がここに至るまで如何いう行動をしていたのか、説明するまでもなくご存知かと思いますが――――」
行き止まり突き当れば壁を打ち破って道が出来たねーと潜り抜け、其処彼処の岩石を微塵に破壊しては見通しが良くなったね！とやらかしていたのが彼女―――雷鳴君です。ついでにその岩の破片で鬼を打っ叩いていました。それは余談ですが。
「そんな訳で。勢いでここまで来てしまいましたけれど――――というか、止める間もなく勝手に突き進んでしまったんですけれど…これでお終いにしませんか？彼女の制御は不可能ですから」
戦ったらお夏様だけでなく、僕達にも被害が出かねません。
その涼しげな表情に、かっと頭に血が上った。
ふざけんな！
このあたしが！負けると決めつけやがって！朱点のお人形如きが！！
完治していない足が自重でひしゃげ、嫌な音を響かせあらぬ方向に曲がるのも厭わず飛びかかる。まずは厄介な壊し屋だ。あの小娘を引き裂いてから夏夜とかいう奴を血祭りにあげてやる。そう目論みながら視界の端にとらえる弓使い。時間が妙にゆっくりと流れるように感じられる中、薄い唇が嘲笑に歪む。音にならない言葉の連なり。
――――馬鹿だなあ。
その言葉の意味を問う事は叶わなかった。雷鳴とやらの浅黒い肌に届く前にがしり、と腕を掴まれる。姦しい様子を裏切る屍のような冷たい瑠璃紺の瞳。大槌の柄部分で肩を強打され、その勢いで押し倒される。あっぶなあい、という呑気な声と同時に、再度振り下ろされる大槌。容赦など置き忘れてしまったかのような攻撃に腕から背中にかけての広範囲を叩き潰される。血と共に吐き出される絶叫。治りかけの喉が裂ける。
「あれ？あれ？もしかして痛かった？ごめんね？」
「一応神様だし、この程度すぐ治るんじゃないかな」
投げやりな言葉に、雷鳴は頬に飛び散った血を拭いながら、
「でもさ、夏夜兄、わざと怒らせなかった？」
「僕は双方損をしない提案をしただけだよ。それを蹴ったのは彼女の勝手だ」
「んー、そうなのかなあ…。でも、こんなに弱いのに。優しくしてあげなくちゃ」
「…それ、君にだけは言われたくないよ？」
「え、如何して？」
緊張感の欠片もない会話に、お夏の矜持は身体以上にズタズタである。
――――何なんだよ、コイツ等！
芯にあるのは怒り。だがそれ以上に――――恐怖が体を覆いつくしていた。お夏など全く視界に入っていない―――邪魔な障害物を排除した、程度の認識に。彼女はこれまで何度も相まみえた一族に対して、恐らくこの時初めて心が折られた――――敗北したのだ。
ぼろぼろと、何かが流れ落ちていく。最初は自分は泣いているのかと思ったが、そうではなかった。壊れていくのは己を地上に留める軛。朱の首輪。そして肉体そのもの。何度も何度も再生を繰り返していた魄が解け、魂が天へ昇っていく。
「おやおや、ついに里帰りですか、お夏さま」
「そっか、良かったね猫さん、元気でねえ！」
だから猫じゃない！！
ぶんぶんと手を振る少女をほんの爪先だけでもいいからひっかいてやりたかった。そう思いながらお夏は天界への帰還を果たした。
お夏を完膚なきまでに叩きのめした壊し屋の少女。実は彼女にとってあれが初めての実戦だと――――初陣だと天敵（と思っているのは彼女だけだったりするのだが）たる昼子から薄笑いと共に知らされもう一度精神を圧し折られるのはこのすぐ後の話である。
「雷鳴と稲妻」了